アーユルヴェーダでは、オージャス(活力素、生命力)というものが
ひとの心臓の中にある、と言われています。

 

オージャスが多い人は魅力的で、生き生きとして活力にあふれています。
その人といると、みんなも元気になっていきます。
優しく、親切で、寛容です。
ユーモアも忘れません。
自分を愛し、もちろん周りの人のことも深く愛しています。
自分の仕事を愛し、心を込めて遂行しています。

 

さいたま市 アーユルヴェーダ

 

 

 

 

 

アーユルヴェーダが説いている、食事や日々の習慣は
このオージャスを増やしていくためのものです。

つまり、魅力的で、その人らしく、健康で、人と気持ちよく温かく繋がれる生活を送るための方法です。

 

 

オージャスは心臓にある


チャラカというアーユルヴェーダの古典によると

心臓の中にある、白くして少し赤黄色を帯びたものが身体のオージャスと言われている。
もしそれが消失すると人は死ぬ。
生命体において、いちばん初めに作られるものがオージャスである。
オージャスはギーの色で、蜜の味がし、炒った米のにおいがする。
鉢が果物や花々から蜜を集めるように、人の臓器がその機能によってオージャスを生成する。

と言われています。

 

オージャスは、心臓にある8滴のパラオージャスと
心臓から体中を巡っている、アパラオージャスの2種類があると言われています。

パラオージャスが尽きるとき、人はこの世とお別れです。

 

 

オージャスは食べ物から作られる

アーユルヴェーダでは、食べ物は消化・代謝されながら順番に組織として精製されていくと考えられています。

さいたま市 アーユルヴェーダ 食べ物 代謝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてそれぞれの過程において、老廃物が排泄されて行きます。

シュックラ(生殖器)のあと、オージャスが作られます。


オージャスは、量と質が適切で、しっかり消化・代謝された食事から作られるのです。

 

 

オージャスを増やす食べ物、増やす食べ方


オージャスを増やす食べ物は、

・作り立てで新鮮であること
・作った人が愛情をこめて作ったもの
・その時の消化力に合った質と量の食事 (腹6~7分目ぐらい)

というのが前提です。

 

食べたものからアーマ(未消化物、毒素)を作らず、オージャスを作るには食べ方も大切です。

・落ち着いた環境で
・良い気分で
・前の食事が消化されきって、空腹を感じてから
・決まった時間に食べます

 

オージャスになる食事を摂れたら、
人は食後に満足感と軽快な感覚を感じます。


さいたま市 アーユルヴェーダ

 

 

 

 

 

 

 


 

オージャスを減らす食べ物、減らす食べ方


↑と、反対の食事や行動が、オージャスを減らします。


オージャスを減らす食べ物は

・作り置きしたもの
・食べかけ、食べ残し
・不潔な環境で、適当イライラしながらに作られたもの

また、3時間以上かけて調理されたものも良くないと言われています。

 

オージャスを減らす食事の仕方は

・怒りや悲しみの感情が強い時に食事をする
・不快な環境で食事をする(気の合わない人と、騒がしすぎる場所、など)
・不規則な時間に食べる
・空腹ではないのに食べる
・消化力に合わないものを食べる

となります。
 

 

他にもあるオージャスが減る要因 


不適切な食事以外でも、オージャスが減る要因はあります。

過度の運動、断食、乾燥したものや少量の食事、偏食、
強風や日光にさらされる、
心配、不安、考えすぎ、恐れ、悲哀、こだわり、
非油性の飲み物、夜更かし(睡眠不足)、
粘液・血液・精液・老廃物(便、尿)を過度に出す、
加齢、ブータ(感染・伝染病、霊障、サイキックアタックetc)
毒物の摂取(たばこ、アルコール)
外傷(心、体)。

 

 

オージャスを増やす方法 


・瞑想
・ラサーヤナ(若返り法)
・休む
・心を穏やかにする、平和、愛、優しさ
・自然を楽しむ


え?
そんだけ?
って思いますよね。

わたしもそう思う(笑)

減ってしまうものやことについてはたくさん記述がありますが
増やす方法はズバリこれ!っていうものについてはあまりありません。

なぜなら、アーユルヴェーダが説いている事柄そのもの全部が
オージャスを増やすためのものだから。

アーユルヴェーダは良い生命、悪い生命、
幸せな生命、悲しい生命について教え
生命について良いもの、良くないものを教え、
寿命を測る方法を教える。

というのは、アーユルヴェーダの定義のひとつです。
じゃあ、良い生命とは、幸せな生命とは、っていう定義があるのかとおもいきや!

それについての定義・記述は無い!
 

 

アーユルヴェーダドクターのパーリタ先生に『なんでその定義は無いのか』、と質問したら

「それは自分で考えて、見つけていくものだからですねー。
 そのためのアーユルヴェーダです」

 

カティバスティ さいたま市 アーユルヴェーダ

 

 

 

 

 

 

 

 

↑カティバスティを施す、Dr.パーリタ

 

その時は、わたしも、クラスメイトも
「え~~~~😞」って反応でした。

 

でも、今はその自由さこそ、ひとりひとりの命を育むアーユルヴェーダらしさだなと思います。

 

わたしの考える、オージャスを増やすとは

自分を好きになること。
元気になること。

です。


そうすればどんどん、勝手に自分らしく、魅力的になっていく。
オージャスが増えてゆく。
 

そのために、どう生活すればいいかをアーユルヴェーダは教えてくれるけれど
日々の出来事や自分の気持ちをどう受け止めていくか、は自分で探して、自分で答えを出させるように書かれているなぁと感じます。


自分だけが、自分の人生を作っていける。

はっきりと定義しない部分を作ることで、在り方でそのことを教えてくれるアーユルヴェーダって
ほんとうに面白いな。

 

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